元々は、旧玉川線(玉川電鉄)の支線・・・
開業は1924年(大正14年)
現在も元気に走る世田谷線は、翌1925年1月に「三軒茶屋~世田谷」
5月に「世田谷~下高井戸」全線開業
溝ノ口線(二子~溝ノ口)は、1943年(昭和18年)に、当時の東急大井町線(現在の田園都市線)の一部になっている
ちなみに、現在の大井町線は「大井町~二子玉川~溝の口」だが、
今の田園都市線の二子玉川以遠も大井町線だった
そもそも大井町線と、溝ノ口線は別々の線だったが、1945年に、溝ノ口線を1067mmに改軌し、同じ大井町線に改称された
ところが、1963年10月に、「大井町~溝の口」を「田園都市線」に改称
蛇足だが、1966年、二子橋の併用軌道が、溝の口~長津田開業の際に解消(新二子橋完成)
併用軌道の玉川線は、砧線と共に、1969年5月11日に廃止
玉電廃止後、地下線の新玉川線開業までは、代替えバスが運行されたらしい
新玉川線開業は1977年4月7日
ここで、また路線名の変更が・・・(;´・ω・)
田園都市線で渋谷方面に向かうには、この時点では全て二子玉川園(当時)で乗り換えなくてはならなかった
渋谷方向への利用者が多く、運行形態が実態にそぐわなかったため、
1979年8月、田園都市線から新玉川線への直通運転を開始、
併せて、大井町ー二子玉川園を大井町線として分離
田園都市線が長らく「田玉線」と呼ばれたのは、この辺の事情があるのかも?
線名は、2000年に、渋谷~二子玉川を含め、全線「田園都市線」に統一し、今に至る・・・
今の大井町線が、溝の口まで延伸したのは、元々、大井町線が溝の口まで路線があったことに由来するかは、また調べたい・・・
前口舌が長い…(;´・ω・)
申し訳ありませんm(__)m
本題の砧線・・・
あんまり古い画像出しても、沿線の変化があまりないので
1965年の画像・・・
青線が砧線
右下の二子玉川園(当時)の駅の構造が、大井町線に直通してるのがわかると思います・・・
終点の砧本村駅のそばに、かつて、製薬会社のわかもとの工場がありました
この時点では、まだありますが、この後移転してるはずで、
現在は、駒澤大学の校舎があります(#^^#)
1975年・・・
もう廃止になって6年
国道246号線のバイパスも建設中(^^♪
新玉川線も建設中の頃・・・
1979年~二子玉川
36年前ですが、かなり発展してます
砧線の線路跡も、駅近くでもまだはっきり残っています
二子玉川~中耕地
中耕地ー吉沢ー砧本村
砧本村駅周辺
90年代の航空写真は、どこの地域もあまり撮影されてない印象
1997年、2007年辺りは、結構撮影されてる感じですが(個人的な感想)
最新の画像以外は、国土地理院画像検索サービスより手に入れたもの
最新の画像は、GoogleEarthより、一部キャプチャしたものですm(__)m
次はどこにしよう?
鷺沼・国道246号線か、海老名か、品川・五反田か?(;´・ω・)
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